【18日目】終戦の日に
最初に極論を言えば、この世界から、戦争がなくなることもなければ、争いがなくなることもない。人間が人間である限り。僕はそう思っている。(前にも書いたけど、平和を望まないわけではない)
調べてみると、「平和」の対義語は「戦争」ではないようだ。つまり、戦争がない世界が必ずしも平和とはいえないし、平和な世界に必ずしも戦争がないとはいえない。そんな分かりにくい状態になってしまう。
たしかに戦争の対義語として平和を上げている書籍もあるみたいだけど、対義語ではない派の意見をまとめると
「平和」・・・状態 (対義語:混沌・混乱)
「戦争」・・・手段 (対義語:話し合い)
と、そもそもの言葉の表しているものからズレている状態。今はこの平和を訴える人たちが、「戦争反対」と言ってるけど、戦争に反対しても、混沌が続けばそれは平和ではなく、むしろ、戦争の結果として秩序が保たれれば、実は平和になってしまう。(いや、殺し合いとかいやだけどね。創造的じゃないし)
この状況って、会議でよくある光景に似ている。用語の定義がズレている会議だ。そもそもの定義が違ってるんだから、議論がかみ合わない。混沌以外の何者でもない。話し合えば話し合うだけ、混沌が進む結果に・・・。
だから、そんな定義の決まっていない話し合いなんて、無駄。平和の定義を決められない人たちがどれだけ話し合っても、戦争のない世界が平和なのか、人々が争わない世界が平和なのか、秩序だった世界が平和なのか。100人いれば100通りの平和が存在する状態。まさに混沌。
僕らはこんな混沌とした時代に生きていくのだから、GHQが統制をしていた戦後とどちらが「平和」なのでしょうか?