僕は学歴こそ大卒じゃないものの、高校のブランド力、それも学科のブランド力が相当強くて、富山県民ならほぼ一発で覚えてくれるレベルだったりする。
僕にしてみれば、適当に勉強して、適当に入れたのがたまたま富山県の御三家といわれる高校の、理数科と呼ばれる7クラス中1クラスしかない変な学科だったのだ。この間その話をしていたときに、「探求科学科」になってレベルが落ちたとも言われたし、人気がなくなったとも言われた。たしかに、理数科でも理系に進学する場合には有利なんだけど、文系だとちょっと大変だったりもする。でも、今でも「理数科」の名前は、時計で言えばロレックス、車で言えばベンツ、酒で言えばドンペリくらい、誰でも知ってるし、誰にでも通用する(実際はロレックスにしても自分の価値観だとApple Watch以下だし、ベンツよりも高い車は無数にあるし、ドンペリだってそうだ)だから、行きたくて行ったというよりは、県内でそこしか行きようがなかったと表現する方が正解。だから、辞めるときも全く抵抗なし。
それでも、そんな「理数科」の人間・全員が「頭がいい」か、と言われれば決してそうではない(あくまでも主観)むしろ、学歴云々を飛び越えて、頭のいい人たちはたくさんいる。僕のお取引先様なんて、そんな人の集まりだし、そう感じられない人とは付き合わないようにしている。僕は頭のいい人と話をするのが好きだ。それが自分にとって一番ストレスがないから。だから、スナックに行ったり、キャバクラに行っても、話しをしていて全然楽しいと思えないのだ。
では、何がその「頭のよさ」を決めるのか。その要素をまとめると、「考える癖」にあるのではないかと思う。もっと平たく言えば、思考が動いているか停止しているか。ここに尽きると思う。
学校のテストだと、正直、どちらでもなんとかなる。考えなくても問題は解けるし、暗記という奥の手がある。僕は正直暗記が苦手で(というより好きじゃない)記憶力が悪いわけでは決してない。むしろ良すぎて、昔のいやな事も忘れる事が出来なくて、結構苦しかったりもする。
暗記力がすごくても、思考力に乏しい人間は、まずアウトプットが出来ない。受身の仕事しか出来ないし、むしろ受身の仕事をさせたい人間には思考停止した人間が都合がいいくらいだ。企業もこういう人間のほうが都合がいい。僕みたいにあれこれ考えて、上司に物言う人間は煙たがられて当然。
思考力の根幹を成すのは、実は自然科学的な要素だ。夜になると星が見えるのはなぜか?なぜクーラーは冷えるのか?身の回りには簡単な事から、複雑な事まで、実に多くの疑問が眠っている。大人になるにつれて、だんだんとそれらを都合よく無視するテクニックを覚え始める。というか、無視しないと情報を捌ききれなくなる。
捌ききれなくてもいい。不思議な事があれば、徹底的に極めればいい。
僕の周りの頭のいい人には、そんな共通した習慣があるような気がします。