昨日は70回目の広島「原爆の日」でした。
僕はカリカリの理系人間。そして「テクノロジーは人々の生活を豊かにする」と信じている人間の一人です。
政治や哲学の話ではありません。きっとこのネタで書くと若干ながら批判的な書き込みがあると思うのですが、それも有りだと思っています。でも、ここで「政治や哲学」の話をするつもりはありません。
批判的な書き込みをされる場合には「テクノロジーと人々の生活」という視点での批判であればお答えしますが、それ以外の視点からの批判は削除などさせていただくと思います。ご了承ください。
さて、みなさんは原爆投下についてどう思いますか?
何度も繰り返しますが、私の行動規範は「テクノロジーは人々の生活を豊かにする」です。
この規範に照らすと全くのNGだと思います。
では、原爆そのものについてはどうか?
それはYesです。それは存在そのものに対しての肯定ではなく、原爆の基礎研究がもたらしたものに対しての肯定です。
ご存知の通り、原爆の燃料はウランやプルトニウムです。どちらも、原子力発電所の核燃料として利用されているポピュラーな材料です。そして、原爆の基礎研究を通して得られたデータは、原子力発電所の核燃料やその制御にも生かされているのも事実です。
もちろん、先の福島の原発事故から、原発に対してネガティブな意見を持っている方もいると思います。
じゃあ、その「原子力技術」を否定していく線引きをどこにするか、答えることができるでしょうか?
実は、この原子力はアインシュタインのもっとも有名な式「E=mc^2」に深くかかわっています。
質量とエネルギーが等価である。すなわち変換可能なことを示しているからです。
もっとわかりやすく言いましょう。
ウランやプルトニウムは、中性子を受けることで、核分裂を起こします。その結果、中性子を放出しながら複数の別の原子へ形を変えます。その時に質量は減少します。しかし、減少した質量の分だけエネルギーを放出するんです。
原子力発電に対してのNGと、この式に対してのNG。どこで分けることが出来ますか?
また、身の回りにはこの原子力を利用したものが多数あります。
レントゲンやCTは言うまでもありません。医療用はもちろんのこと、工業用にも利用されています。たとえば時計にしても、原子時計はこの性質を利用したものですし、考古学の世界でも炭素14年代測定が用いられています。
食品分野ではジャガイモの芽が出るのを防ぐのにガンマ線を照射していますし、
日本はCTスキャンの普及率が世界一。今さら捨てられますか?
技術の進歩をネガティブな観点から論じるのは簡単です。
インターネットが引きこもりを助長しているとう人もいますし、自動車の普及を運動不足と関連付けるのも簡単です。
でも、そんな近代の技術だけを論じるのはナンセンスです。
農業技術の発展で穀物を安定して得られるようになりました。製鉄技術が進歩したことで、調理器具や農機具が劇的に進歩しました。「車輪」が発明されたことで、物や人を運ぶことができるようになりました。
「技術」をすべて捨てることは生活を維持する上で不可能ですし、それは原爆以上の大量虐殺です。
戦争につながる技術だけを捨てることは、製鉄技術も車輪もインターネットも自動車も捨てることになります。
誤解の無いように言えば、決して私は「平和を願わない」わけではありません。
基本争い事は嫌いです。というより、低レベルな争い事はするつもりは有りません。
自身の技術を磨く争い事は大好きです。仕事上のライバルや先輩に負けない。という。
だからこそ「テクノロジーは人々の生活を豊かにする」が必要だと思うのです。