【27日目】ニュータウンの罠

昨日の続き。今日は家の話。普通なら人生で最も高い買い物になるもの。

 

仕事柄お客様のご自宅を回っていると、お子様が独立してご高齢の夫婦二人で暮らしている家庭も少なくない。富山市の豊田や奥田、月岡という古い「ニュータウン」や戦後開発された地域でも、空家は珍しくない。

だけど、農村部でも田畑を転用して新しい団地を拡大している場所も多々ある。

 

これはどうなのか??

 

僕にはいびつな状況に見える。もちろん、昔の団地・ニュータウンと、今の団地では道路の規格や公園の状況が大きく変わっていて、確かに、新しい団地が魅力的に見える。しかし、不動産としての価値を言われると、今の団地は損だ。というか、団地を買っても、リセールバリューが低すぎる。

 

バブルのころ不動産投資がはやった(もちろんバブルなんて知らない。物心ついた時からずっと不景気なので・・・)というか、不動産投資はバブルの象徴そのもの。土地の値段がどんどんあがり、リゾートマンションなどの物件も飛ぶように売れた。なぜか?リセールバリューが大きかった(というか、数か月でも確実に価値が増えるから、確実に利益を出せた)銀行も不必要にお金を貸して、そのお金で土地を買って・売って、資産を増やした。ところが・・・不動産価格が頭打ちになって、そのうち下降に入った瞬間・・・損切大会が始まった。この損切大会こそ、バブルがはじけたというやつだ。

 

もちろん家を建てるための土地を買うのは投機目的ではない。しかし、土地は家と異なって(周辺立地などの要素での上下動はあっても)価格の下落が少ない。だからこそ不動産には買うときと売るときの差(リセールバリュー)を考えなければいけないところがある。しかし今、団地の土地を買って、20年後・30年後売ろうと思うと、二束三文だろう。家はそれで良い。古くなるのだから、それに応じた減価償却があるからだ(実際はそれで良くない位、家の耐用年数・維持コストに対して、資産価値=リセールバリューの減少が進行してしまう)

人口も減少に転じる社会の中で、団地の土地の需要が増える要素がどこにあるのか。不動産も供給過多だ。街中の古い家を取り壊して新しく建物を建てる方法もあるし、リフォームもある(税制上のメリットも大きいし)それにも関わらず皆新築で新しい団地に家を建てようとする。

そんな新しい団地だって居住者が80歳を迎える30年~50年後、どうなっているか。ゴーストタウンだろう。現金があればまだ良い。土地の資産価値もない、建物の資産価値もない。それでも、ローンを組んで買った家だ。そのローンは自分たちが働いてペイしている。本来、現金として残っているお金が、土地や建物の資産となって、その資産価値の目減りによって吹っ飛んでしまう。有料老人ホームやサービス付き高齢者住宅にも入れない。子供や孫に残す金もない。

そんなことが起こりえると思うし、僕は周りの新しい団地の家を見ていると、怖くなるのだ。

 

この辺りは「資産」の考え方によるものだと思う。「資産」については明日書こうと思う。

【26日目】新車は損

仕事柄運転する機会が多いと、自然に目に入るのが中古車。もともと車が好きなので、中古車の値段などは結構気にしてみていたりもする。

プライベートでも仕事でもちょっと面白い車に乗りたいと思うし、その情報集めの意味もあるんだけど。

 

そこから見えてくるのは、「自動車は供給過多」という事。

 

本来、需要と供給の関係で行けば、中古車が大量に余っている現状を見ると、中古車の価格そのものはもっと安くても良いと思う。もちろん、走行距離や年式などにもよって価格は大きく変わるのだが・・・。

でも、そこから見ても新車は損。

 

僕はドライに考えるタイプなので、1kmあたり何円のコストで走れるか、を考えてしまう。もちろん、5万キロで大きな故障をする車もあれば、15万キロ平気で走る車もいるから、個体差(あたりはずれ)の要素もある。でも、今の車なら10万キロ~15万キロまで乗るとして走行コストを考えるなら、新車は思いっきり損になる。

もちろん途中の修理コストなどもあるが、経年的な要素を除けば、仕事で使っている以上年間走行距離は2万5千キロ近くになるし、どちらかといえば、走行距離に応じたメンテナンスのほうにコストがかかる。そこから逆算しても、新車よりも、新車の半額以下で買える5万キロ走行した軽のほうがお得だったりする。

 

先に述べたとおり、需要と供給の関係で行けば、単に走行距離や年式だけを元に「減価償却」を考えると、新車のコストは高すぎる。では、何が新車の価格を吊り上げるのか。それはプレミアだ。新車のプレミアは確かにある。みんなそのプレミアにお金を払って、わざわざ高い車に乗っている。

僕もその感覚を否定するつもりは無い。僕もプレミアを払って、わざわざ現行機種の高いカメラを仕事に使っているし、型落ちを選べばコストは半額以下だ。そこにプレミアを感じるかは人それぞれだけど、物が持っている現実的な価値は、中古車の値段から逆算した価値だ。その価値と実際の売値の差はプレミアでしかない。

 

プレミアには本質的な価値は無い。あくまでも空虚な概念だ。僕もプレミア感で仕事をしている部分があるので、そのプレミアの部分にお金を出す人はありがたいお客様だったりもするので、否定するわけにも行かないけど・・・。

【25日目】欠点

先日、機材を入れ替えてカメラ(Canon EOS 6D)のボディ(本体)が1つ余ってきた。仕事でどうしても必要なのは2台。それ以外は不要だと思っていて、売ろうと思っていた。

でも、ある方のFacebookをみて考え方が変わった。

 

「優しいカメラ・女性的なカメラ」

 

たしかに、そうだと思った。僕は今、こんな構成で撮影している。

<カメラ>
Canon EOS 5D Mark3 + BG-E11 ×2台

<レンズ>
(広角ズーム)Canon EF 16-35mm F4L IS USM(標準ズーム)Canon EF 24-70mm F2.8L II USM
(望遠ズーム)Canon EF 70-200mm F2.8L IS II USM
(標準単焦点)SIGMA 50mm F1.4 EX DG HSM(Artラインじゃない)

<クリップオンストロボ>
Canon 580EX II ×2台

仕事だけを考えるならば6Dが入り込む余地はない。ほとんどの性能面で劣っているから。GPSやWi-Fiなどの機能はあるけど、仕事では無用。仕事での必要性を感じないから、売ろうと思っていたのだ。また、電子ダイヤルが軽すぎて勝手に設定が変わるのが面倒で、仕事で使うリスクも感じていた。液晶の色味も個体差ではなく、6D全般に共通して、色温度が高く、実際の出力がわかりづらい(この辺りはターゲット層向けのチューンの要素が濃い)

 

でも、軽くて手の小さな自分には一番操作しやすいカメラだし、撮った画もやさしい。何よりも必要以上に物々しくならないし、1台でお出かけしたくなるカメラだということに気付いた時に、売るのをやめた。相手の欠点だけを挙げればキリがない。だったら、フラッグシップ機に行けばいい。でも、あくまでもプライベートで使うカメラ(仕事でも使うけど)これで十分なのだ。そう割り切った時に、このカメラを手元に残そうと思った。そう思うと、このカメラのいいところもたくさんあるところに気付いた。

 

人間関係も一緒だ。相手の欠点を見つけるのは簡単。だけど、相手の長所を見つけるのは相手を知らないと難しかったりする。欠点があるから、長所が光る。だから好きになる。

そこに気付かせてくれた、この子に感謝。