東京へ

少し日記が空いてしまいました。

実は、週末~今日まで東京へ出かけていました。

本命はとあるプロジェクトを進めるため。
そして、運命的なタイミングで「ちづる」という映画の上映初日と重なり、さらに母校の学園祭とも重なっていました。
(正しくは、母校の学園祭に合わせて東京に行って、そのついでにプロジェクト、そして、偶然に映画という順番ではありますが…)

普段ご縁のない、東京大学やお台場のインキュベーションオフィスで打ち合わせする機会を頂き、
知人や同期の仲間や、あるいは学校の後輩たちからパワーを貰いました。

映画の方も上手く進みそうです。
内容の要約やら、何やら考えていたのですが、一切不要です。
なぜなら、私が作ろうとしていたイベントの中身がそのまま映画になっていたからです。
映画の一部を切り取って、イベントをする予定だったのが、ガッツリハマってしまいました。
やるしかありません。

母校の恩師からは、ありがたいながらも、今の自分には重すぎる言葉を頂きました。
「講師になる事を考えてみれば?」と。

多分、機材のことはすぐに追いつくと思います。
マニアなので、触れば覚えます。3日下さい。追いつきます。
やっぱり機械が大好きなのは間違いない。寧ろ胸を張って言えます。

現場経験が有りません。
経験が無ければ教えちゃだめという事は無いですが、
自分なりにもう少し勉強する時間も必要だと思いました。
やりたくないと言えば、嘘になります。

どうせなら、可愛い後輩にはもっと面白い情報を伝えたいのです。
もっと言えば、ライフプランを立てる授業がしたいんです。

学生のうちは、この大切さに気付く事は有りません。
社会人になってから初めて気付くんです。
でも、それを学べる場が無い。

もしも許されるなら、いつか特別講師として授業をさせて下さい。

自分は卒業後のゴールを定めてなかったので失敗しました。
モチベーションを維持出来ませんでした。

音響屋さんの給与が安い理由はなんでしょうか?
自分なりに思った事は、「計画」が無い事です。
人材・機材・車両に至るまで計画って有りますか?
ところが、社長さんってそんなに暇じゃありません。
音響屋さんの社長の大半が、現場の方です。

音響屋さん専門のコンサルタントって面白くないですか?
裏方の裏方。

25歳、工場勤務の僕が会社を創るまで
25歳、工場勤務の僕が会社を創るまで
25歳、工場勤務の僕が会社を創るまで
25歳、工場勤務の僕が会社を創るまで
25歳、工場勤務の僕が会社を創るまで
25歳、工場勤務の僕が会社を創るまで

明日自分が死ぬとしたら、今日やるべきこと。

自信を持って、言えます。

http://chizuru-movie.com/

この映画の上映会を富山でやる。
そのための組織を今すぐに立ち上げる。

そして、お願いがあります。力を貸してください。
どんな小さな力でも良いです。
イベント業やってたので、企画と運営にはちょっとノウハウがあるつもりです。
やってることは高校演劇の時と変わらない。
でも、絶対的に手が足りません。
最低スタッフ10名、事務局4名が目標です。

自分はこの新聞記事をみて目が覚めました。
10月12日の読売新聞の朝刊です。

$25歳、工場勤務の僕が会社を創るまで

そして、今やるべきことは、この映画を富山で上映すること。
そう直感しました。

起業した人は言うんです。
波が来る瞬間がある、とか、タイミングが上手く重なる瞬間があるとか。
その時が動くときだろうと。

あ、じゃあ、今動くべきタイミングだな。

企画書もばっちり出来てます。
配給元に問い合わせたところ、11月に詳細を発表されるそうです。

自分の周りにも、同じ障がい児の兄であり、きょうだいと言う立場の人がたくさんいます。
そんな人を勝手に巻き込んで、上映会を開きたい。

それは、きっと自分が悩んできたことや、思ってきたことを共有できる機会だと思うし、
少しでも今悩んでる人の助けになればと思います。

起業まではまだまだ時間があります。
今は「自分」を見つめ直す大切な時間。
その時間を目一杯使いたいと思います。

妹のこと

久々の更新です。
我ながら抜けすぎです。反省。

さて、自分史上公式に発表するのは初めての内容。
私の妹のことです。

2歳下、双子です。

「知的発達障がい」があります。

妹が生まれてからずっと、そうだったので、自分の人生の中ではずっと妹は妹だったので、
気にはしてませんでしたが、小学校で養護学級に入ったあたりから、違うんだなってずっと感じていました。
でも、特別言うほどのことでもないので言ってませんでした。

考え始めたきっかけは、今年の2月。
ニュージーランドで、大切な親戚が亡くなったことがきっかけでした。
家こそ遠かったものの、母親の実家の近所だったので、妹がよく遊んでもらいました。
歳の差こそはあったものの、一緒にゲームしたり、テレビみたり、絵を描いたりしてたみたいです。
その彼女が亡くなってから、まずは彼女のために精一杯送りたいと思った。

そして、妹たちのことを考えはじめました。
これからどうやって生きるのか、兄としてどうすれば良いのか。
例えば妹たちが病気になった時のこと、自分が病気になった時のこと。
妹たちには妹たちの人生を送ってほしいと思っているのは事実です。

そんなご縁があって、スペシャルオリンピックスと言う活動にも参加しています。
その活動の中で「障がい」について学んだことがあります。
「障がい」とはなんでしょうか?

おそらく、多くの人が「出来ないこと」と答えるのではないでしょうか?
知的発達障がい=知的発達が出来ないこと
四肢障害=四肢が動かないこと
視覚障害=目が見えないこと
聴覚障害=耳が聞こえないこと

この定義はちょっと古くて、障がい者が社会に参加出来ない理由が、「本人」にあるのです。

今のWHOの定義では、環境にこそ「障がい」の原因があると言う見方をしています。
スロープを作れば、車いすでの活動範囲はずっと広がります。
点字と点字ブロックがあれば、視覚障害者はもっと自由に動けます。
知的発達障がい者を積極的に雇用している企業があります。
この会社では、マニュアルを変えたことで知的発達障がい者が普通に働いています。

自分が会社を創って実現したい夢の一つに、知的発達障がい者の自立支援があります。
自立とはなんでしょうか??

私なりの答えとしては、「社会の中で、社会との関係を理解して生きていくこと」と考えています。
つまり、「一人でやっていくこと」ではなく「社会の中で生きていくこと」が自立だと思います。
障がい者は雇用面でも平等とは言えません。
障がい者の雇用義務があっても守っていない企業が山ほどあります。

じゃあ、お金をいっぱい稼いで、いっぱい寄付をしましょう。

もっと簡単で良いんじゃないでしょうか?
稼ぐ必要なんてありません。
正当な値段で仕事を出せば良いのです。
単純作業でも構いません。
フェアトレードってのがちょっと前にはやりましたけど、
例えばDMの発送でも、チラシの折り込み作業でも良いんです。
「正当な」価格で仕事を出せば良いんです。

障がい者の方も、自分たちと同じで、仕事をして、褒められたり、相手に喜んでもらったらうれしいはずです。
社会とのつながりを感じることで、自立に繋がると思います。

自分の妹も今、作業所で働いています。

でも、夢を言えば、作業所は無くなれば良いと思います。
作業所があることで、ある種の「囲い」「線引き」があるのも事実です。

ただし、これだけじゃ自分っぽくない。
もっと色んな展開を考えてます。