プログラミング必修化って言うけれど

小学校でプログラミングが必修化になるみたい。Facebookでも同じネタを簡単に書いたけど、こちらでもご紹介。

プログラミング必修化、ICTの学習活用最下位の日本はどうすべきか?

昨年12月21日、2020年から順次適応される次期学習指導要領に答申が出され、間もなく正式な学習指導要領が告示される。小学校でプログラミング教育が開始され中高においても強化される。2月6日開催された次期学習指導要領とプログラミング教育に関するセミナーをレポートする。

非常につたないプログラムだけど、仕事でプログラムを書くこともあるので、ちょっとこの記事を見たときに、「嘘でしょ?」って感想を持った。かつて仕事で小中学校に出入りをした経験もあって、今の教職員で、こうしたスキル(というか思考)を持った人間がいないと感じたからだ。

プログラミングには正解などない。ちゃんと動けば問題ないし、その中でコードが美しいとか、シンプルとか、見やすいとか、早いとか、そういう基準で「よりよい」:コードがあるだけだからだ。

例えば、1から100までの数の和を計算させるコードを書いたとしよう。(PHPですけど・・・)

その1・・・力技

面倒だけど、ひたすら1~100までの数を足しあわせる処理を書く方法。もちろん、シンプルだけど、正解。ちゃんと答えが出ます。でも、数の範囲が変わると使えなくなる難点も・・・。

 

その2・・・正攻法

正統派のループ処理

 

その3・・・頭使った方法

簡単にこの3タイプにされると思う。

その1は数字の範囲が変わるとその都度修正が必要になる。これだと条件を変えながら何百回も計算させる時にはとても面面倒。だけど、コード的には一番シンプルだ。

その2は教科書的に言えば、最も正解に近い。今回はforだけど、whileで回してもいい。

その3は、教科書的ではないけども、正解を導き出せる方法だ。

学校の先生はどう採点するのだろうか?どれも正解だ。ただし、現場レベルからいえば、一番「正解」と思われるのは3の方法だろう。仮に数が1~100万までの和だろうが、もっと大きくなろうが、計算のスピードが速いからだ。ループさせる方法だと、数が大きくなればなるほど、ループの回数も増える。ループの回数が増えれば増えるほど、処理に要する時間が長くなる。だから、CPUリソースの面でお勧めできる方法ではない。

だから、3の方法は、どのような変数に修正しても、計算はたった1行分。数が増えても、処理時間の増加はごくわずかだ。プログラミングはケースバイケースで「ベスト」な解答が変わるのだ。

これは、現場でもプログラムを書く人が100人いたら、100通りのやり方があるはずだ。今の学校教育では、この「100通りのやり方を認める」方向では話が進んでいるのだが、その100通りのやり方を評価できる先生がどれだけいることか。

それは、自分の小学校の時の思い出も書きたいので、また次回に。

「AI」は仕事を奪うのか?

内容としては、前回の続き。⇒「働き方」改革

前回のブログ投稿後、Facebookにいただいたコメントからヒントをいただいた。

前回は、働き方改革は長時間労働の是正だけでは意味がなく、雇用を流動的に考えることが必要、とこんな内容だった。ただ、現実的にこんなに流動的な働き方を認めている企業は、数えるほどしかないのが現状だ。

しかし、今注目される「AI(人工知能)」、この進歩によって、雇用の流動化は避けようがない変化だと考える。

オックスフォード大学が認定 あと10年で「消える職業」「なくなる仕事」(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)

たとえばバーテンダーの仕事。これがコンピューターに代わられる確率は77%-。そんな大胆予測を披露した論文が全世界で話題だ。論文の執筆者が本誌に語った、凄まじすぎる「雇用の未来」。

「人工知能によって無くなる仕事がある」と聞くと、人は誰しもマイナスなイメージを持つ。自分の尊敬する、先輩自営業者の人でもそんな反応だった。この人は頭の回転も速く、論理的に考える人で、当然「AIが仕事を奪うことは、良い進化だ」と賛同してくれると思っていた。ところが、「仕事がなくなると、生活ができなくなるのではないか?」と言い始めたのだ。

根本に変えると、なぜ人は働くのだろう?という疑問にぶつかる。元々、労働という概念は、大昔にはなかったはずだ。ある一定の集団で、耕作したり、狩猟をしたり、生存するためには必要なことだったのだ。しかし、文明が発展するにつれて、安定して作物が得られるようになると、余剰な労働力があることに気づいたはずだ。詳しくは知らないが、ある人は農具を作っただろうし、ある人は収穫するものを収める容器を作ったはずだ。あるいは、海で獲れたものと、山で採れたものとを交換することを始めたはずだ。まずは物々交換だったのだろうが、そのうち金などと交換をするようになり、貨幣が使われるようになり、労働の対価としてお金を受け取ることが一般化したのだろう。

つまり、働くことは、それ自体が目的ではなく、生きるための手段だった。だからみんなが働くことは当たり前だったし、働けない人のために「福祉」という互助の関係が生まれたのだろう。

 

しかし、「AI」が仕事を奪うと、暮らしはどうなるのだろうか?当然、仕事がなくなれば、労働もできない。労働ができなければ、お金を受け取る手段がない。だから生活できなくなるのは当然だ。と、考える人は多い。

しかし、そもそもなぜ労働が必要なのか?生存のためだ。「衣食住」に還元されるのだろうが、既に「衣」については服がなくて死ぬ人はいない世界だ。「食」もAIが生産を担うから心配しなくても安定的に供給される。「住」は日本全国を見渡すと、既に住宅は供給過剰状態だ。どれも不足して死ぬことはまずない。

だからこそ、AIに淘汰された仕事は、人間がする必要はないし、より人間性が必要な仕事、個人に合った仕事にシフトするのは必然だ。例えば、研究、芸術、創作、スポーツなど、こんな仕事に自由に取り組む日が来ると考えている。

これは「社会主義」とは違う。あくまでも資本主義の社会で、ベーシックインカムと組み合わされることが理想だと思う。イメージとしては、中世の貴族のような生活だろう。その頃は、多くの庶民の労働によって支えられていたのだろうが、労働はAIが担うもので、人はその労働から解放される。だから、好きなことを、好きな時間にやって、仕事にすればいいし、うまくいかなくてもベーシックインカムで最低限の所得は保証される。

これが、雇用の流動化ではないのだろうか?

「働き方」改革

久しぶりのブログ更新です。

入社式のシーズンということもあって、先日の新聞でこんなネタを見つけた。「入社してから定年退職まで10万時間」

そう一旦社会に出ると、10万時間、いやもっとそれ以上の時間を「仕事」に費やすことになる。逆に言えば、つらい10万時間と楽しめる10万時間とでは、大きな差ができるのではないか。もっと言えば、我慢の10万時間か、ワクワクする10万時間か、とてつもなく長い時間だけに、この選択は人生の中でも大きなウェイトを占めるのではないか?と思ったわけだ。定年退職後、寝食を忘れて何かに没頭すれば、同じくらいの時間を確保することは容易にできるだろうが、残念ながらそんな体力も時間も残されてはいない。

社会人の中には、仕事は我慢ととらえて、趣味の時間でそのワクワクを得ようとする人もいる。その価値観は否定するつもりは毛頭ない。それは近代の伝統的な価値観だし、事実、それが多数派だからである。多数派であることは楽だ。気づかなくてもいいし、考えなくてもいいし、抵抗しなくてもいい。仕事は我慢ととらえるから、今までは長時間労働が許容されてきたし、それが一つの美徳になっていた。

しかし、この状況は一変した。長時間労働による自殺が問題になると、今度は長時間労働を問題視し始めた。仕事は我慢という伝統的な価値観は残しつつも、長時間労働はダメと。

長時間労働すると、人は死ぬ。これは本当だろうか。長時間労働と人が死ぬことには直接的な関係はない、自分はこう思っている。事実、長時間労働をした人が、自殺をしたり、病気になったり、これは事実。でも、長時間労働しても死なない人もいる。むしろ、月100時間の時間外労働をしている人間はたくさんいる。特に自営業の人間なんてそうだ。8時間×20日+100時間=260時間。260時間を25日で割ると、一日約10時間。この水準で働いている自営業者は周りにごまんといる。体が丈夫な人間ばかりじゃない。それでも死なないのだ。そう考えると、長時間労働の改善なんて、「働き方」の改革にはなりえないのだ。

むしろ、「働き方」改革を考えるのであれば、雇用の流動化だ。本当はBI(ベーシックインカム)を含めた社会保障全体を見渡すべきだろうけど。新卒・既卒というプラットフォームを廃止して、正社員や非正規の枠もなくし、働きたい時間だけ働けて、いつでも仕事に就けて(ただし選考はあるけど)、いつでも辞められる、そんな流動性を確保しないと、働き方の改革にはならないのではないか。

自分は今の仕事が面白いと思っているし、そのために時間を使うことは何ら苦痛を感じない。むしろ、好きなものに触って、知的好奇心を満たせる今の仕事は最高だと思っているし、日々課題が見つかり、知識が増えていく現状に満足している。だから、どんなに長時間働いていても嫌にはならない(ただし、ちょっとはなる・・・笑。特に冬場とか)周りの自営業者にしても状況は同じだろう。だから長時間働いていても死なないのだ。

今の「働き方」改革に不足していると思うのは、そんな基本的な部分だと思う。