「働き方」改革

久しぶりのブログ更新です。

入社式のシーズンということもあって、先日の新聞でこんなネタを見つけた。「入社してから定年退職まで10万時間」

そう一旦社会に出ると、10万時間、いやもっとそれ以上の時間を「仕事」に費やすことになる。逆に言えば、つらい10万時間と楽しめる10万時間とでは、大きな差ができるのではないか。もっと言えば、我慢の10万時間か、ワクワクする10万時間か、とてつもなく長い時間だけに、この選択は人生の中でも大きなウェイトを占めるのではないか?と思ったわけだ。定年退職後、寝食を忘れて何かに没頭すれば、同じくらいの時間を確保することは容易にできるだろうが、残念ながらそんな体力も時間も残されてはいない。

社会人の中には、仕事は我慢ととらえて、趣味の時間でそのワクワクを得ようとする人もいる。その価値観は否定するつもりは毛頭ない。それは近代の伝統的な価値観だし、事実、それが多数派だからである。多数派であることは楽だ。気づかなくてもいいし、考えなくてもいいし、抵抗しなくてもいい。仕事は我慢ととらえるから、今までは長時間労働が許容されてきたし、それが一つの美徳になっていた。

しかし、この状況は一変した。長時間労働による自殺が問題になると、今度は長時間労働を問題視し始めた。仕事は我慢という伝統的な価値観は残しつつも、長時間労働はダメと。

長時間労働すると、人は死ぬ。これは本当だろうか。長時間労働と人が死ぬことには直接的な関係はない、自分はこう思っている。事実、長時間労働をした人が、自殺をしたり、病気になったり、これは事実。でも、長時間労働しても死なない人もいる。むしろ、月100時間の時間外労働をしている人間はたくさんいる。特に自営業の人間なんてそうだ。8時間×20日+100時間=260時間。260時間を25日で割ると、一日約10時間。この水準で働いている自営業者は周りにごまんといる。体が丈夫な人間ばかりじゃない。それでも死なないのだ。そう考えると、長時間労働の改善なんて、「働き方」の改革にはなりえないのだ。

むしろ、「働き方」改革を考えるのであれば、雇用の流動化だ。本当はBI(ベーシックインカム)を含めた社会保障全体を見渡すべきだろうけど。新卒・既卒というプラットフォームを廃止して、正社員や非正規の枠もなくし、働きたい時間だけ働けて、いつでも仕事に就けて(ただし選考はあるけど)、いつでも辞められる、そんな流動性を確保しないと、働き方の改革にはならないのではないか。

自分は今の仕事が面白いと思っているし、そのために時間を使うことは何ら苦痛を感じない。むしろ、好きなものに触って、知的好奇心を満たせる今の仕事は最高だと思っているし、日々課題が見つかり、知識が増えていく現状に満足している。だから、どんなに長時間働いていても嫌にはならない(ただし、ちょっとはなる・・・笑。特に冬場とか)周りの自営業者にしても状況は同じだろう。だから長時間働いていても死なないのだ。

今の「働き方」改革に不足していると思うのは、そんな基本的な部分だと思う。

2017年4月7日 kaneyan 未分類 No Comments

Share Your Thoughts

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください