【12日目】JKの話

今日はあまり時間が取れないので手短に・・・。

今日のネタはJK。

今年で29歳。彼女たちとは干支1周分年齢が違う(高校の頃バカやってたのはそんなに昔か・・・)
でも、僕は彼女たちのカルチャーに新しいビジネスの可能性を感じています。

29歳のおっさんのクリエイティビティなんて大したことはありません。
僕自身まだ守りに入るフェイズではないのですが、でも、無茶はできないことはわかってきています。

一時「魔貫光殺法」っていう画像が流行ったことがありました。あれもJK発。でも、ブライダルでも真似をする人が続出。

最近では自撮り棒。これもJK(というか若い女の子)発。

今までの写真や動画の表現を超えるには、僕らの固い頭で考えているよりも、彼女たちに道具を渡してどんなものを作るか。
サービスの開発をさせたら面白いかなって思ってます。

僕はパトロン。おもしろい機材・可能性のありそうなものを見つけたら、彼女たちへつなぐ仕事。
そんなのも面白いかなって思ってます。

【11日目】パラダイムシフト

僕はブライダルのカメラマンの仕事もやってます。
カメラが好きなんで、有りだとは思うんですが、だからと言って、七五三とか子供写真とかはあまりやりたくない。
(成人式はやってもいい。女の子がかわいいからw)

だから、他のカメラマンと違ってて、僕はブライダル全般をやりたいと思ってます。
狙いはプロデュース。ここが最終目標の一つだったりします。

そのブライダルの世界でも映像の世界でも、絶えず技術革新があり、パラダイムシフトが起こっています。
小さな変化は日常茶飯事に起こってます。

これから10年、ブライダル市場は確実に縮小します。中途半端なゲストハウスは多分なくなっていきます。
富山県内でも多分半分くらいになるんではないかと。またホテル系でも今力を入れている数社以外はなくなると思います。
それくらいに危機感を持ってるんです。

理由は簡単です。若い世代のキャッシュフローがなくなるから。
親世代にも金がなく、子世代にも金がない。
都会では車離れが起きていますが、理由の一つは間違いなく「金」です。それと同じ現象がブライダルでも起こってますし、田舎にもその波は来てます。

富山のブライダルは都会のブライダルに比べて5年は遅れていると思います。
(ドレスの流行だったり、演出の流行だったり、スタイルだったり)

だから、10年後にはもっと小規模なブライダルが当たり前になってると思うんです。
その中でどう食ってくか。切実な問題です。

その中でいかにパラダイムシフトをしていくか、がテーマになってます。
たとえば、記録ビデオをHD(ハイビジョン)から4Kとか8Kにしていく。
これは技術の進歩ではあるんですが、決してパラダイムシフトではない。
(むしろ一眼ムービーとか、全部撮らないムービーの方がそれに近かったりします)

新しい演出を入れるのも良いんですが、決定的な変化ではないですしね。

今でも入籍する人のうち挙式を上げる人は半分にも足りません。(再婚とかもあるし)
それほど、潜在市場はデカいのです。

僕はこの「潜在市場」を「需要」に変えることが必要だと思ってます。
だから、今は「写真」というツールで需要を喚起しようとしています。

「写真」だけでも残す。小規模だけど食事会をする。
こんなシンプルでお金のかからない結婚式でも良いと思うんです(自分もそうしたいし)

そんな結婚式がプロデュースできればいいなと思って、日々仕事してます。

【10日目】この時期だから

昨日は70回目の広島「原爆の日」でした。

僕はカリカリの理系人間。そして「テクノロジーは人々の生活を豊かにする」と信じている人間の一人です。
政治や哲学の話ではありません。きっとこのネタで書くと若干ながら批判的な書き込みがあると思うのですが、それも有りだと思っています。でも、ここで「政治や哲学」の話をするつもりはありません。
批判的な書き込みをされる場合には「テクノロジーと人々の生活」という視点での批判であればお答えしますが、それ以外の視点からの批判は削除などさせていただくと思います。ご了承ください。

さて、みなさんは原爆投下についてどう思いますか?

何度も繰り返しますが、私の行動規範は「テクノロジーは人々の生活を豊かにする」です。
この規範に照らすと全くのNGだと思います。

では、原爆そのものについてはどうか?

それはYesです。それは存在そのものに対しての肯定ではなく、原爆の基礎研究がもたらしたものに対しての肯定です。

ご存知の通り、原爆の燃料はウランやプルトニウムです。どちらも、原子力発電所の核燃料として利用されているポピュラーな材料です。そして、原爆の基礎研究を通して得られたデータは、原子力発電所の核燃料やその制御にも生かされているのも事実です。

もちろん、先の福島の原発事故から、原発に対してネガティブな意見を持っている方もいると思います。
じゃあ、その「原子力技術」を否定していく線引きをどこにするか、答えることができるでしょうか?

実は、この原子力はアインシュタインのもっとも有名な式「E=mc^2」に深くかかわっています。
質量とエネルギーが等価である。すなわち変換可能なことを示しているからです。
もっとわかりやすく言いましょう。

ウランやプルトニウムは、中性子を受けることで、核分裂を起こします。その結果、中性子を放出しながら複数の別の原子へ形を変えます。その時に質量は減少します。しかし、減少した質量の分だけエネルギーを放出するんです。

原子力発電に対してのNGと、この式に対してのNG。どこで分けることが出来ますか?

また、身の回りにはこの原子力を利用したものが多数あります。
レントゲンやCTは言うまでもありません。医療用はもちろんのこと、工業用にも利用されています。たとえば時計にしても、原子時計はこの性質を利用したものですし、考古学の世界でも炭素14年代測定が用いられています。
食品分野ではジャガイモの芽が出るのを防ぐのにガンマ線を照射していますし、
日本はCTスキャンの普及率が世界一。今さら捨てられますか?

技術の進歩をネガティブな観点から論じるのは簡単です。
インターネットが引きこもりを助長しているとう人もいますし、自動車の普及を運動不足と関連付けるのも簡単です。

でも、そんな近代の技術だけを論じるのはナンセンスです。
農業技術の発展で穀物を安定して得られるようになりました。製鉄技術が進歩したことで、調理器具や農機具が劇的に進歩しました。「車輪」が発明されたことで、物や人を運ぶことができるようになりました。

「技術」をすべて捨てることは生活を維持する上で不可能ですし、それは原爆以上の大量虐殺です。

戦争につながる技術だけを捨てることは、製鉄技術も車輪もインターネットも自動車も捨てることになります。

誤解の無いように言えば、決して私は「平和を願わない」わけではありません。

基本争い事は嫌いです。というより、低レベルな争い事はするつもりは有りません。
自身の技術を磨く争い事は大好きです。仕事上のライバルや先輩に負けない。という。

だからこそ「テクノロジーは人々の生活を豊かにする」が必要だと思うのです。