「AI」は仕事を奪うのか?

内容としては、前回の続き。⇒「働き方」改革

前回のブログ投稿後、Facebookにいただいたコメントからヒントをいただいた。

前回は、働き方改革は長時間労働の是正だけでは意味がなく、雇用を流動的に考えることが必要、とこんな内容だった。ただ、現実的にこんなに流動的な働き方を認めている企業は、数えるほどしかないのが現状だ。

しかし、今注目される「AI(人工知能)」、この進歩によって、雇用の流動化は避けようがない変化だと考える。

オックスフォード大学が認定 あと10年で「消える職業」「なくなる仕事」(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)

たとえばバーテンダーの仕事。これがコンピューターに代わられる確率は77%-。そんな大胆予測を披露した論文が全世界で話題だ。論文の執筆者が本誌に語った、凄まじすぎる「雇用の未来」。

「人工知能によって無くなる仕事がある」と聞くと、人は誰しもマイナスなイメージを持つ。自分の尊敬する、先輩自営業者の人でもそんな反応だった。この人は頭の回転も速く、論理的に考える人で、当然「AIが仕事を奪うことは、良い進化だ」と賛同してくれると思っていた。ところが、「仕事がなくなると、生活ができなくなるのではないか?」と言い始めたのだ。

根本に変えると、なぜ人は働くのだろう?という疑問にぶつかる。元々、労働という概念は、大昔にはなかったはずだ。ある一定の集団で、耕作したり、狩猟をしたり、生存するためには必要なことだったのだ。しかし、文明が発展するにつれて、安定して作物が得られるようになると、余剰な労働力があることに気づいたはずだ。詳しくは知らないが、ある人は農具を作っただろうし、ある人は収穫するものを収める容器を作ったはずだ。あるいは、海で獲れたものと、山で採れたものとを交換することを始めたはずだ。まずは物々交換だったのだろうが、そのうち金などと交換をするようになり、貨幣が使われるようになり、労働の対価としてお金を受け取ることが一般化したのだろう。

つまり、働くことは、それ自体が目的ではなく、生きるための手段だった。だからみんなが働くことは当たり前だったし、働けない人のために「福祉」という互助の関係が生まれたのだろう。

 

しかし、「AI」が仕事を奪うと、暮らしはどうなるのだろうか?当然、仕事がなくなれば、労働もできない。労働ができなければ、お金を受け取る手段がない。だから生活できなくなるのは当然だ。と、考える人は多い。

しかし、そもそもなぜ労働が必要なのか?生存のためだ。「衣食住」に還元されるのだろうが、既に「衣」については服がなくて死ぬ人はいない世界だ。「食」もAIが生産を担うから心配しなくても安定的に供給される。「住」は日本全国を見渡すと、既に住宅は供給過剰状態だ。どれも不足して死ぬことはまずない。

だからこそ、AIに淘汰された仕事は、人間がする必要はないし、より人間性が必要な仕事、個人に合った仕事にシフトするのは必然だ。例えば、研究、芸術、創作、スポーツなど、こんな仕事に自由に取り組む日が来ると考えている。

これは「社会主義」とは違う。あくまでも資本主義の社会で、ベーシックインカムと組み合わされることが理想だと思う。イメージとしては、中世の貴族のような生活だろう。その頃は、多くの庶民の労働によって支えられていたのだろうが、労働はAIが担うもので、人はその労働から解放される。だから、好きなことを、好きな時間にやって、仕事にすればいいし、うまくいかなくてもベーシックインカムで最低限の所得は保証される。

これが、雇用の流動化ではないのだろうか?

2017年4月8日 kaneyan 未分類 No Comments

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