支援とは盲信にあらず。

ちょっと、某アニメからのパクりも入っています
分かる方は、その筋の方とお見受けします(笑)

この言葉は私が尊敬する先生の言葉の解釈の一つでもあります。

昨日・今日と、スペシャルオリンピックスの合宿に参加してきました。
来年2月に福島・猪苗代でナショナルゲーム(=全国大会)があり、そのコーチとして参加するためです。

最近、色々な障がい者支援団体の人とお話をする機会があるのですが、
驚くほど一致してるのが、「究極の目的は団体の解散」ということなんです。

私もこのスペシャルオリンピックスの活動に参加していますが、正直な事を言えば解散すれば良いと思っています。
解散しても知的発達障がいの方が、普通にスポーツを楽しみ、健康的で幸福な生活が出来るのなら、それで良いと。
そのために、色んな視点から「解散に向けて」頑張っているのです。

こうした、合宿や大会には今年から参加してますが、自分の成長にもなります。
一晩一緒に泊まるだけなのに、障がい者の方のいろいろな可能性に気付きます。

自分でホテルを予約して、電車で出かける方がいる。
これは自分にとって驚きでしたが、その直後猛烈に反省しました。
「驚き」が、既成概念で「出来ない」と思い込んでる証拠なのです。
これはいけないと反省しました。

今年のブロックゲーム(=地区大会)では、余裕が無くて、手が回らなかったのですが、
今回はアスリート(=選手)の自立を促して、自主的にやってもらうための「提案」をする所まで来ました。
コーチも気が楽になります(気を張りっぱなしで自分の準備もままならないことがある)
最大の進歩はその上で欲求を満たすところまで、サポート出来る気持ちの余裕が出来たことです。

そして、ここのところ、こうした支援ははたして「民間」ベースで主導出来ないのかと考えています。
近年PFI(=プライベート・ファイナンス・イニシアチブ)という手法が富山県でも用いられています。
ところが、まだまだ浸透しておらず、結局は看板を付け替えただけで、採算性までを考慮したものにはなっていません。
こうしたPFIの手法も考えながら、取り組んで行く方が「解散」に近づくのになぁと思っています。

例えば広く出資を募って、株式会社化をする。
株式会社と言うのは、株主が神様です。
と、言うと何かお金儲けをするつもりなのか??搾取するつもりなのか??と思われる方もいると思います。

株主を誰にするのかによって、会社の性格が変わるのです。
上場しなければ、出資者=障がい者の関係者と限定することも出来ます。
これはNPOでは出来ません。 NPOはメンバーが出資者だからです。

適切なチェック機能を働かせることで、搾取に走らずに会社を運営することも出来るはずです。

この現代において、CSRをやらない会社は残って行けないと思います。
(今の勤め先がそうです。CSRをやることで「心が豊かになる」という感覚が無いと取り組めないと思います)

でもCSRが負担になってもいけない。ちょっとだけCSRってどうでしょうか?
会社として日々の仕事をしている。その中で例えば配達や印刷やDMの発送などの軽作業と言う物もあります。
そうした、軽作業が毎日あれば良いのですが、外注する会社も多いはず。

となれば、こうした軽作業を集めて会社に出来るのでは?

あるいは、依頼された仕事に対してそれが「出来る」障がい者の方を派遣する派遣会社なんてものも考えられます。

アイディアはいくらでもあるハズですよ。

前は事業の結果のCSRとしてこうした支援をしようと思っていましたが、今はこの事業を立ち上げた方が直接的に支援が出来て面白いのかなと思っています。
もちろん、盲信になってはいけません。

バランス「偏重」教育

http://ameblo.jp/nihatori/entry-10289532100.html

今日、このブログを見ていて、自分の存在を認められたような気がしました。

確かに、自分が小学生や中学生の時には、こうした概念さえも教育現場にはなかったのではないか。
「成績が良いから、発達障がいではない」と言う発想が、親にも、先生にも有ったんじゃないかな。

自慢する訳じゃありませんが……小学校・中学校と家で勉強したことがありませんでした(いや、してましたけどね…)
自分にとって勉強とはデーターベースにデータをひたすら入れる作業。
だから、データを入れるのに授業時間以外の時間は必要としなかったんです。
(ただ、これ暗記とは違う)

高校生くらいの時までは、半年前の出来事の日まで覚えていた。
(多分、代償性機能的な部分があったのだろう)

授業時間は予習の時間。興味あるところはガンガン読み進む。

そんな感じでした。

確かになぁ……今になって思ってみれば、図鑑なんかも結構興味にばらつきが大きくて、20冊セットの図鑑は、読んでないのは1回も開けていない、好きなのはボロボロになるまで読むって感じ。

問題はこうしたTwice Exceptionalな子どもをどう育てるのかという事です。
日本の、バランス偏重(個人の中でのバランス、クラスの中でのバランス取る)教育では、こうした興味に固執し続ける性格は好まれるものではありません。
でも、こうした特性を無視しても良いのでしょうか?

自分は究極的には、プロフェッショナリズムという物が好きです。
好きな事を突き詰めた方が良いのでは?

それが、時に「天才」と呼ばれる人たちの行動様式であるし、
スティーブ・ジョブズも、アインシュタインも、エジソンも間違いなく発達障がい者です。
(どういった運命のイタズラか、伝記を読んだのは4~5人しかいないんだけど、この3人は全員読んでいる)

でも、今の社会にはその障害になる人が沢山いるのです。
興味をスポイルしようとする人たち、ノイズ、ヒエラルキー的な社会環境が生きにくさを感じる要因でした。

彼らがいなければ、今、電球の下で生活する事も、GPSで自分の位置を確認することも、スティーブ・ウォズニアックのマニアックな発明品が世に出て、MacやiPadやiPhoneが手元に有る事も無かったでしょう。

そして、親側にも誤解が有って知的発達障がい・発達障がいが入り交じっている。
学業成績と発達障害が必ずしも相関関係を示さないのは、紛れも無い事実です。
学業成績が優秀だから、テストの点がいいから、発達障害でない とは言えないのです。

イメージ的には信じたくないですけどね。
本来、白黒つけたがるのは、アスペルガー的な特性(自分の本来の性格的特性でもある)なのですが、どうもこうした障害では、白黒つけたがる感じがあります。
完全な白、完全な黒なんてものは存在しないとしても、グラデーション的にグレーな部分の方が多いでしょ?

そうした意味でも、まず自分が発達障害の診断を受けてみようと思います。

その上で、自分の経験上、今、苦しんでいるTwice Exceptionalであったり、giftedは多いはず。
自分もつい最近まで、グレーという感覚が受け入れられなかったですし、
今でも人間関係はデーターベースに基づいてしか、築けません。

自分が、そのTwice Exceptionalであると分かれば、人にも説明しやすい、少しだけど変わるかもしれないと、思っています。
それを幼児期や小学生、中学生の時に見なかった事にしたり、個人の性格に帰結させると、取り返しがつかない事になります。
そうした意味でも面白い経験になりそう。

なので今、ドキュメンタリー映画を作ろう位の勢いで割り切ってます(笑)

発達障害児・者の適応的な社会生活にむけて

本日、富山大学に行ってきました。
最近、大学に行く事が多いです。
勉強になります。
イベントの正式なタイトルは、

障害とその代償性潜在能力の生命融合科学研究
発達障害児・者の適応的な社会生活に向けて
-自己選択・自己決定を大切にした生涯発達とその支援-
と、言うイベントでした。
上から、分かりやすく日本語に翻訳すると。
障害がある方は、失った機能を補うように他の分野の能力が発達しますよ。
(例えば、視覚障害者の方のエコーロケーションであったり、自閉症の方の特異な能力であったり)
発達障がい(ADHD(注意欠陥多動性障害)、LD(学習障害)、ASD(アスペルガー症候群)、自閉症(スペクトラム)など)がある方が、社会生活において、自分で選択・決定して、生きて行くためには何ができるでしょう?
というシンポジウムです。
今度映画の上映でお世話になる、水内研究室というところが主催されました。
内容は非常に面白く、アスペルガー症候群の当事者の方のお話や、富山における発達障がい者支援の現状、
アメリカにおけるGT(Gifted and Talented=同年齢に比べて、知的、創造、芸術、リーダーシップ、特殊なアカデミックにおいて、高い遂行能力があること)や2E(Twice Exceptional=才能に加えて発達障害を併せ持つ人々)のこと、
など、非常に参考になりました。
大切だと思ったのは、
発達障がいを持った人が、自分の障害と向き合い、出来る能力は楽しみながら伸ばして、出来ない能力は本人の選択・気付きで本人の努力と、周りの適切な支援を行って行くこと。
そして、社会一般においては、障害=出来ないことではなく、障害=個性ととらえてほしいと思いました。
今回は、妹の知的発達障がいとは違います。
一般に、IQ70以下の子供を知的発達障がいと言うことで、特別支援学校での特別支援教育を、IQ70以上の子供には、一般学級での特別支援教育を行っています。
ところが、IQ130以上の子供にも、こうした発達障害を持った人がいるのです。
それが先ほどの2Eと言う分類で、自分は今までにADHD注意欠陥多動性障害やアスペルガー、自閉症スペクトラムという診断はされた事が有りませんが、おそらく2Eに該当します(2Eの特徴に多く該当する。成績はともかく優等生タイプじゃない。)
IQ130以上って数字は、色んなデーターがありますが、5%以上、1クラスに2~3人はいると考えても良いでしょう。その全員が2Eと言うわけじゃありませんが……。
とある人曰く、富山・富山中部・高岡(いわゆる御三家)の理数科(偏差値70オーバー。自分が「入学した」ところでもある)の生徒の3割は発達障害らしいです。
確かにそうかも(笑)
と、考えると、発達障がいって特別な事じゃないんです。
個人的には、こういった発達障害の診断を受けるべきかどうかを悩んでいます。
と、言うのも自分の問題点には悩みつつも、あまり気にしていないからです。
それよりもやりたい事が沢山。
でも、資格マニアなので、肩書きがもう1つ付くくらいの気持ちで受診しても良いのかなとは思ってます。
でもね、障がい者だからって、今日の講師がそうであるように、そうした発達障がいであったり、知的発達障がいであったりの支援が出来ないわけじゃないんです。
寧ろ、自分には新たにクリエイティブな分野で、そうした「得意で特異な能力」を育成するお手伝いが出来るのかなと思ってます。(自分の周りの方を巻き込む、リーダーシップや、エネルギッシュな行動もGTの特徴らしい)

確かに、中学・高校・専門学校・社会人と、適応力は皆無だなぁと悩み続けたんですけどね。ちょっと、自分が何者であるか分かった気がします