社会人論

新年度がスタートしました。
社会人になってからは、学生の時ほど「新年度」が大きく感じられません。
でも、今のお仕事が「学校」に近いお仕事の為、新年度は結構バタバタしていました。
(とは、言いつつ中身は限りなくニートなのですが…)

さて、そんな中、新社会人が沢山誕生しています。
少し前までは、小学校→中学校→高校→大学→社会人 と、レールが決められていた世の中でした。
自分が専門学校の時には、そんなレールは見えなくなっていました。
大学から社会人を経て専門学校に入る方、専門学校から大学に編入した方、大学卒業から専門学校に来た方、大学在学中の方まで、結構多岐に渡っていました。
つまり、どの時点からが社会人かの線引きがとても難しい、言い換えるなら、社会人ってどんな定義だ?と。

卒業後が社会人?
就職してからが社会人?
仕事をしている人が社会人?
正規雇用が社会人?

ものすごく曖昧な言葉です。

私が考える定義は「社会の歯車になっていること」
社会が周り続ける為に、かけてはならないパーツになることだと思います。
社会が回る為には、大きな歯車だけではなく、小さな歯車もそれぞれに役割を果たします。
それは、起業家や個人事業者が偉いというわけではなくて、大きな会社も小さな会社も、
それぞれが歯車として機能をしています。
その歯車の中でまた、「歯車」して機能するのもまた間接的に「社会の歯車」になっていると思います。

その歯車の役割も、サイズも実に様々。
様々だから役割があるんです。
そう考えると、自分が歯車として機能出来る場所を探すことが、「就職」ってことでしょうか。

儲けたいなら科学なんじゃないの? ー 堀江貴文×成毛眞

儲けたいなら科学なんじゃないの?
堀江貴文 成毛 眞
朝日新聞出版
売り上げランキング: 109054

ご存知、ライブドアの元社長 堀江貴文氏と、マイクロソフトの日本法人元社長の成毛眞氏の対談本。
まず、この本に共感したのは、「日本人は科学に弱い」ということ。

大学生の内、社会科学系(経済学など)・人文科学系が、約184万人に対して、工学・理学系は約52万人。
儲けたいとか、成功したいとかでは無く、例えば経済の発展にも、人文科学の発展にも、科学が不可欠なのに、科学に弱いということです。
自分が共感したのはこの後で、マスコミには(所謂、)文系が多くニュースや新聞記事が無茶苦茶で、科学を扱った記事も少ないと言うことです。確かに新聞記事を見渡してもスポーツ面やら芸能面に比べて、科学は扱いが小さい。

そして、いつもテレビを見ていて思うのですが、科学的な部分の表記・表現は無茶苦茶です。
例えば原発事故の時も当初はmSvとμSvが混在して、さらに、時間も、「時間(/h)」なのか「年(/year)」なのかが混在。
見ている側にとっては、「どれだけ危ないのか」を判断するのに電卓を叩いていました(ん?我が家だけの話か?ちなみに、私の家族は理系家族なのです…)
自分がテレビで気になるのは、この辺の単位系の間違いです。あるいは、単位系をきちんと表記していないというのも多いです。

あるいは良く有る言い間違い「パラジクロロベンゼン」どこで切って読んでいるんですか?と聞きたくなります。
パラジクロロベンゼンなんて、高校生でも知っているメジャーな物質です。
テレビ局の記者は高校生程度の科学知識も無いのか?とツッコミたくなります。

この本では本当に色々なことに触れています。
例えば宇宙旅行やロケット開発、生命科学、ITなど「どれだけ守備範囲が広いんだよ?」と思ってしまいます。
だけど、考えてみれば著者はその道の研究者やエンジニアではありません。
むしろビジネスとして、これらを捉えているのです。

例えばロケット開発。
民間でロケットを開発する意味なんてあるの?と問いたくなります。
しかも、ロケットって一基何十億円するんでしょ?とも。

でも堀江氏が目指してるのはDIYロケット。言い換えるならホームセンターロケットなんです。
ホームセンターで売っている部品で(半ばDIYの様なノリで)作っている。
コストを1基、1000万円程度にしようと目論んでいます。
分析機器も誠にユニーク。カシオのEX-F1という1200fps(フレーム=枚/秒)で撮影出来るデジタルカメラとか(もちろん、ちゃんとしたのも有るだろうけどね)
分析機器としては実売6万円は安い。
そして、JAXAが最新技術をふんだんに盛り込んでロケット作りに苦心している一方、特許の切れた技術を使って安価に開発を進めるところもなかなか面白い。
(実は製造の現場でも最新の機械を導入してもすぐに上手く動くわけではなく、カタログスペックを満たす為に半年掛かりなんてことはざら。現実問題として、慣れた機械をブラッシュアップして行く方がノウハウ上も簡単なことは多いです=生産性の問題は別として)

何よりも面白かったのは、このロケット作りをオープンソースにするというアイディア。
オープンソースにして、いろんな人が開発に参加出来る環境を作る。
(ご本人も言われていましたが、「ミサイル技術」を公開したら大変なことになる。多分国からストップがかかるので、閉鎖的なオープンソースにするとも書かれていました)

こうして見ると「科学」ってロマンがありませんか?

「ルポ 青年期の発達障害とどう向き合うのか」

佐藤 幹夫
PHP研究所
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書店でふと惹かれて購入したこの本。
自分が今、広汎性発達障害の診断を受けている関係で、とても気になったという背景があります。
(方向性としては「陰性」で結論がでそうですが、スペクトラムと言う考え方の中で「しきい値」に達しないという程度の解釈です。
まあ、これはこれで非常に辛い(=単なる我侭で迷惑な奴になる)のですが……)

さて、ちょっとこの本には一カ所引っかかりを覚えました。
その引っかかり自体は、本の善し悪しにはあまり影響しない部分なのですが、
「そもそも発達障害とはなんぞや?」という部分。
基本的には「先天的な脳の機能障害で生育に関する物ではない」というのが通説。
この筆者の場合は、それよりも後天的な要素の方が大きいと言う風に見られました。
(認知におけるトラウマの蓄積で、認知が歪むといった感じ)

本当にそうでしょうか?
これは、相対性理論にもあることなのですが、現象は観測者によって違う見え方をしても良いのです。
つまり、健常の人も、発達障害の人も、同じインプットに対しての認知は全員が全員違っていて良いのです。
全員が全員違っているけど、発達障害の人が困り感を持つのは何故?ということに尽きると思います。

まだまだ脳は未知の部分が多く、発達障害との関連性も完全に分かっているわけではありません。
それでも、障害そのものの定義で言えば、ICFモデルで言うところの、環境要因による部分が大きいのではないでしょうか?
先天的に脳に障害があったとしても、その後の発育課程で適切なケアを行うことで、青年期の困り感を大きく減らすことができるのではないでしょうか?

たまたま今読んでいる別の本に、「メタ認知」という言葉がありました。
メタ認知とは、自分の認知を認知するということですが、自分はこれが全く出来ません。
発育課程での適切なケアの中にはこのメタ認知があると思います。
健常者とかそういう問題ではなくて、「自分を知る」ことが大切なのだと思います。

こうしたケアの中で、この本で印象的だったのは、とにかく人と人との繋がりのなかで支援をして行くということでした。
発達障害者自身が自己選択的に、そして、必要な時に支援を受ける。
そして、その支援を受け入れて(自分が出来なかったこと)、自己分析が出来ていること。
また、このケアが十分でなかった例として、発達障害者による犯罪も取り上げられています。

この発達障害者の犯罪の難しさとして、「認知の歪み」があります。
そもそも論で、何故人殺しはは罪なのかという所に行き着きます。
人を殺しても良いんです。ただ、殺したら罰がありますよ。それでもあなたは罪を犯しますか?ということです。
認知の歪みが有ると、こうした選択肢のインプットがそもそも間違っている可能性がある。
心神喪失の人が罰せられないのは、この選択する能力が無いからであって、これって発達障害者の犯罪と似てないですか?

こうした障害に対する理解、そして、支援はまだ十分とは言えません。
この障害を正しく理解すれば、社会資源を消費する人から、社会参加出来る人に変わって行くと思います。
その為には支援する人の人数が必要なのかなと思いました。