【44日目】五輪エンブレムの話

今更感が半端無いけど、この話。

日本は、物理的な「生産物」を生み出さない生産者にたいしての報酬が低すぎる。非常に曖昧な書き方をしたが、例えば知的財産の生産者(アーティストやクリエイター、プログラマーなど)に対しての評価・報酬もそうだし、コンサルタントや政治家・経営者に対してもそうだ。

 

後者は評価に対しての報酬を貰う(べき)人たちだ。評価が低ければ報酬も低くて当たり前だ。だけど、前者についてはわかりづらいし深刻だ。一応、僕らもその前者に入る仕事をしている。コンビニのアルバイトなら簡単だ。時間×時給が給料になる。

プロジェクト全体としてみれば、一生産者である以上は、仕事に対しての報酬は適正にもらわねければならない。というか決してタダじゃない。(僕らカメラマンもよくある)

僕らは仕事をしていく上でカメラが必須だ。意外と安いようで、高いし、消耗もする。だから、シャッターを1回切るごとに2円~3円のコストがかかっている。1回の挙式で1000コマきれば、2000円~3000円のコストだ。それに加えて自分の時給もある。仕事のあるときにしか仕事をしない僕らの場合、時給換算すると2500円~3000円のラインが適正だ。それを下回るようなら、はっきり言うと仕事じゃなくて、ボランティア的な要素が強くなる。というかボランティアじゃ食えないのが現実だ。

プログラマーだって、アーティストだって、消耗品や自己研鑽のための出費は数えればキリがない。そんな、コストを軽視されたらたまったもんじゃない。

 

とはいえ、日本はそんな人たちへの報酬が低い。コレはクライアントだけが悪いわけじゃない。僕らの味方(同業者)でさえ、ここに気づいてない人がいる。だから結果的に自分の首を自分で締めている事も多々あるし、そんな現場をたくさん見てきた。値段があるようで、値段が無い仕事だからだ。それは、自分の仕事に対しての適正な評価を自分で出来ていないからだと思う。僕のラインは先ほどのラインだ。これ以上安いラインだと蹴る(または結果的にそのラインを超えるような仕事の仕方を工夫する)ここには市場の原理も働く。高くても需要があるような人間になったほうが良いし、低コスト・低クオリティなんて目指すべきじゃない。(あれ??タイトルと関係ないじゃん)

2015年9月10日 kaneyan 未分類 No Comments

Share Your Thoughts

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください